8/22(月) 北海道奥尻島に視察
平成23年8月22日(月)、千葉県議会議員会では、平成5年に起きた北海道南西沖地震で、津波の甚大な被害を受け、津波対策を当時から行ってきている北海道奥尻島に視察に行ってきました。奥尻島は北海道の最西端に位置し、桧山管内江差町から西北へ61km、大成町から西へ28kmの日本海に位置する離島で、一度函館空港まで行き、そこからさらに飛行機を乗り換えて奥尻島に向かいます。

奥尻島は紫陽花が今の時期に満開でした。とても空気が澄んでいて、綺麗な島です。周囲が84kmありますが、信号機が設置されているのは3箇所程度ということでした。
奥尻島に着いてからは、奥尻町議会事務局の方々が同行して下さり、様々な津波対策について説明を受けました。まず一路向かったのは「望海橋」という人工地盤の緊急避難用高台でした。この高台は津波被害を受け、平成1210月に奥尻町青苗漁港に作った漁業関係者の避難場所ともなる緊急避難用高台で、縦32m、横164m、高さ6.6m、総面積4,650uのコンクリート製の地盤から成り立っています。日常は漁業関連の作業場として活用しているそうです。

その後、車で少し離れた場所にある避難路へと向かいました。この避難路は海に近い方々が、津波が来たときに逸早く丘の上に避難できるように設置したスロープ上の避難路です。入口もバリアフリーになっているとさらに良いのではないかと感じました。 
その後丘の上に行き、奥尻から見える海を一望しながら青苗地区まちづくり整備事業概況の説明を受けました。青苗地区や稲穂地区では、「漁業集落環境整備事業」が水産庁の補助事業として認められ、津波高より求められた防潮堤の背後に盛土を行って一定の高さに整備し、道々奥尻島線の改良、集落道路、生活廃水処理施設、避難広場、防災安全設備など、防災面、安全面に配慮した市街地計画に基づき整備を行ったそうです。また青苗岬地区では「防災集団移転事業」が国土庁の補助事業として認められ、高台地区に宅地造成を行ったそうです。
その後、一路青苗小学校へと向かいました。青苗小学校は奥尻島の南部に位置し、当時の津波によって校舎が損壊したため、平成7年3月に津波防災に対応した校舎に建て直したそうです。今回は教頭先生が丁寧に説明して下さいました。この校舎は津波対策として1階部をピロティ(空間部)構造とした建物で、町内初となるオープンスペースを生かした特色ある学校運営を推進しているそうです。

また災害時には、校舎の裏側にある丘の上にすぐ避難が出来るよう、常に訓練しているそうです。教室内を見てみると、棚の上には防災ヘルメットが常備されていました。オープンスペースも子どもたちの心を大いに開放できる空間構造となっており、とてもゆったり広々としたスペースでした。
学校の外側にある青苗川河口には、震度4で自動的に閉まる青苗川水門(学校から見ると遠くに見えました。)があり、地震・津波対策をしっかりと行っていました。この水門は全閉になったとき、河川流量を排水できるフラップゲートが設置されており、治水面にも対応できる構造となっているそうです。

小学校を後にして、海岸沿いを暫く走ると、高さ11メートルの防潮堤がありました。防潮堤は津波からの安全確保のため、津波が襲ってきた海岸沿いの居住区を中心に整備されています。総延長約14kmに及び、防潮堤の高さは最も高い場所で約11メートル、被災時の津波痕跡高を考慮して設計されたそうです。このきれいな海が、ひとたび津波と化し襲ってくる事を考えると、自然の恐ろしさに足が竦みます。
その後は海沿いを走り、名所である「なべつる岩」に到着しました。ここも震災津波の影響で岩が欠けてしまったそうです。それから程なくして奥尻港に行き、地震の影響で大規模な崖地の崩壊が発生し、島外宿泊者らの多くが犠牲となった奥尻地区の観音山法面の治山工事跡を背に、慰霊碑を供養してきました。
そして明くる日は、島の反対方面から順に視察しました。この崖では何と23.3mの津波が押し寄せてきたそうです。恐ろしい高さです。この津波が約2〜3分の内に襲ってきたら、ひとたまりもありません。しかし震源に近かった奥尻島では、実際に地震発生から2〜3分後に津波の第1波が来襲したそうです。そのためこの近辺の藻内・米岡地区では集落が壊滅的状態となってしまったそうです。
その後奥尻島最後の視察地である「津波館」と「時空翔」に行きました。今回の大災害を記録に残し、後世に伝えようとして出来た施設である奥尻津波館は平成13年5月からオープンし、その悲惨さ、様々な対策などを来客者に対し訴えています。
また津波により完全流失した青苗地区は、徳洋記念緑地公園として生まれ変わり、中央にはこの災害で亡くなられた198名の名前が刻まれた慰霊碑である「時空翔(じくうしょう)」が建立されました。この「時空翔」に、二度とこのような大震災・津波が来ないよう祈念し、またこの震災によって尊い命を落とされた方々に対し、心からなる哀悼の誠と、今後の日本をしっかりと大災害から守っていく事を心からお誓い申し上げ、奥尻島を後にしました。